歴史ブログ

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イランと日本の友好の歴史

アメリカとイランが上手くいっていない状況のようですが、国内の報道ではよく「歴史的に友好関係がある」「親日国家」等のようにイランと日本の友好関係がでてきます。両国間にどのような歴史があったのでしょうか。今日はそれについて書きたいと思います。

外交関係の成立

イランと日本が正式に外交関係を成立したのは、1926年(昭和元年)です。当時のパフラヴィー朝(1935年にイランとなる)との間です。それ以前にははるか昔の奈良時代頃にはシルクロードを伝わって美術品等が日本にもたらされることはあったようですが、約90年前に正式に外交関係が出来ました。その後、第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)からサンフランシスコ講和条約締結の1953年(昭和28年)までは国交は断絶状態だったようです。

友好関係のきっかけ

サンフランシスコ平和条約までは少なくとも友好関係を築いていたという状況ではなさそうですが、1953年の日章丸事件が友好関係の理由の一つだと云われています。日章丸事件については、百田尚樹氏の「海賊とよばれた男」でも触れられていますので多くの方がご存知だと思いますが、出光興産のタンカーによる石油輸入強行事件のことです。超簡単にご紹介すると、イランの石油を牛耳っていたイギリスに喧嘩を売り、イランと直接的な石油の取引の強行に成功したという事件です。
当時の日本は連合国軍(アメリカ・イギリス等)の占領下時代でもあり、占領者に歯向かうということにもなりそれがいかに難しいことだったかは想像に難くないと思います。用意周到な準備、法律の知識、国際世論を読む力等、全てのことが上手くいって始めて成功することだったのではないでしょうか。この事件ぎもたらした結果は、日本とイランの両国関係が良い方向に進むきっかけになったようです。

安倍(晋太郎)外交

関係者の評価は分かりませんが1980年代に外相を務められていた安倍晋太郎氏(安倍晋三首相の父)のイラン外交は興味深いものがあります。1979年のイランのアメリカ大使館人質事件を契機とした各国のイラン経済制裁に対しても、簡単に同調することなく独自路線を通す努力をされていたというものです。

これから

このように過去には民間、政府問わずイランとの良好な関係を構築する努力がされていたようです。今後もこういった努力が継続出来るようにしたいですね。